それはまるで息をするみたいな極々当たり前の動作。
ボクは彼に口づけた。
捕まえた細作りの肩が震える。
肉の薄い彼の身体にしては珍しく、そこは柔らかみを帯びていて意外に思った。
始まりと同じように、それは唐突に呆気なく終わる。
彼は、今にも泣きそうな顔をしていた。
ひどく困惑した風にこちらを見詰められて、少し困った。
けれど少し歪んだ彼の表情は、何処か似つかわしくて好ましかった。

「何故。」

常より曲線を描いている眉が、今は更に微妙な角度を描いている。
そんな打ちのめされたような顔をされると、まるで自分が彼を虐めたみたいじゃないか。
今にも鼻を啜りかねない彼にボクは辟易してしまった。
拒絶するように彼は首を振った。

「こんなのおかしいです。」

「なんで。」

「僕と貴方は、男同士で、上司と部下で、ましてや恋人同士でもないのに。」

「それらの何があかんの。」

「だって、だって、だって、こんなの。」

「……"正しくない"?」

絶句した彼は、蒼く目を見開いた。
その深い蒼に透明な色が混じって、嗚呼、傷付けちゃった、と思った。
そしてボクの心臓が痛いぐらい脈打った。

「正しいことなんて、なんも無いよ。」

ボクが笑って吐いた戯れ事は、彼を何処かに突き落とした。

「では僕は一体何を信じれば良いと言うのです。」

「簡単や。ボクを信じればええ。」

「そんな、それこそ正しい訳がない。」

ボクが間違っていると、つまり彼はそう云った。
それなのに、どうしてか僕は面白くて仕方なかった。
にこにこと顔中で笑ってしまう程に愉快極まりないのは、何故なら、彼の言葉が何処までも正しいからだ。

「お前は賢いなァ。」

「止めて下さい。」

揶揄するように笑いかける。
褒めてやろうと伸ばした手は、呆気なく振り払われた。

「世辞に興味はありません。」

そして、ひたと見据えられた。
先刻まで不安定だった筈の瞳が今は、護艇の中でも特別畏怖と侮蔑の対象であるボクを睨みつけていた。

嗚呼、ボクはその目を知っている。

ゆるさない、と呟くこえがボクに向けられていたのを知っている。
ひとでなし、と罵るこえがボクに向けられていたのを知っている。
おちてしまえ、と吐き捨てるこえがボクに向けられていたのを知っている。
ボクが間違ってるから、全部正しいのだ。

囁かれるこえ。
横目を向いた目。
何時だってその目は、聞こえないようにしたことを装ったこえとボクを否定する。
何時だってひそひそと囁かれるそれらをボクは嘲って、踏み潰した。
目の前のイヅルは好意という厚意を取り払った冷厳な表情をしている。
その批判と嫌悪は見馴れたものであるけれど、愚直にボクに向けられた。

「貴方は、間違っている。」

真っ直ぐに言い放たれた拒絶の言葉は刺すように鋭くて、肌を刺激されたように鳥肌立った。
背筋を何とも云えない感触が這い上がる。
全身の産毛が逆立つ程、ぞくぞくした。
面白い、と確かにそう思った。
何も怖れていない訳では無いけれど、正否を語ることを厭わない、その姿をいたく気に入った。
こえも否定も拒絶も嫌悪もひっそりと震えていると云うのに。
胸の奥から湧き上がるものに、彼に口づけた理由を見つけた気がした。
ないがしろにされた手を、持て余して宙で振る。
くつり、と喉だけで笑った。
彼は正しい。
世界の理のように正しく、圧倒的に何処までも彼は正しく。
それは誠実な彼の美徳だ。
それをボクはいとおしく思った。
もう一度口づけたらこの子は泣いてくれるだろうかと、ボクは期待して胸を高鳴らせた。
 
…………
いじめっ子たいちょ。

20101229.
 
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