「何でせんぱいが此処に居るんですか。」

大学が休みで、買い物帰りで、夕方で、そして僕の部屋の前に先輩が居る。
予感はしてたから疑問形じゃない。
だからと言って、刺刺しさは後輩という立場のオブラートで包み切れるものではなかったので、僕はドアの前でへらへら笑う不審者を睨みつけた。

「連れへんなぁ。こういう時は『お帰りなさい、せんぱい。』やろ。」

「すごく気色悪いです。それに此処はあなたの家じゃないんですが。」

「それぐらいの遊び心があってもええやないの。」

「あなたの遊びに付き合ってられる程、僕は暇じゃないんですよ。」

「嫌やわ、冷たい。あの頃のやさしいイヅルは何処へ行ってしまったんや。」

(あの頃ってどの頃だよ。)

大体出会ってこの半年、僕が先輩に優しかったことなんて一度も無い。
彼の口からは戯れ事ばかりが飛び出す。
相変わらず阿呆みたいに笑う先輩と向き合いながら、僕の膝下でビニール袋がかしゃりと音を立てた。


この銀髪の男は市丸ギンと言い、僕の通う大学のサークルの先輩である。
新入生として少々緊張気味だった僕に、何かと気を遣ってくれ、取り分け親切に接してくれたのが彼だった。
ただ酒癖が悪いらしく、新入生歓迎のコンパでは流し込むだけ流し込んだ思うと、他の学生も容赦無く煽り立て、気付けば市丸の目から逃れた一部を除いてほぼ
全員が死屍累々の状態と言う有様となった。
決して人数が少ないとは言えないサークルなので、その様子はちょっとした地獄絵図である。
毎年恒例かと思ったらそうでもないらしいので、今後サークルの伝説として語り継がれるのは間違いないだろう。
難を逃れた別な先輩が救援を呼び、何とか事態を収拾させる事は出来たのだけど、何せ緊急事態である。
歓迎される新入生とて手伝わない訳にはいかない程度には緊急事態である。
当然僕も人がわちゃわちゃと行き交う混乱の中に飛び込んだ。
あいつを呼んでこいつ運んであそこの奴どうにかしてと、誰の采配で動いていたのか最早皆目見当がつかなかったが、とにかく必死である。
そんな喧騒の中、はたと僕に宛がわれた泥酔者を見てみるとなんと、この騒ぎの発端の市丸先輩ではないか。
なんで僕が!先輩が運べよ!と宴会での暴虐っぷりを目にした後では、半べそである。
だからってまさか取り替えてくださいなんて言える状況でも無い。
僕は泥酔した自分より頭一ツ大きい男性を抱えて家路に着く事となった。(他の先輩に聞いた市丸先輩のお宅よりは自宅の方が断然近かったのだ。)
うっかりベットに先輩を投げ出してしまい、ソファで横になる頃には頭まで痛かった。
翌日、二日酔いも知らないと言う風にけろりとした先輩に揺すられて起床した時は、何とも言えない理不尽さを感じた。
どうにか帰って貰ったのは、その日の午後。
最悪、とだけ呟いたその日の最後は、机の上に見慣れぬライターが置かれていたのだった。


「……で、今日は何を忘れたんです?」

「えーっと、なんやったけ。まぁ、取り敢えず部屋入ろ。」

「い、や、です。僕が探してきますからさっさと帰ってください。」

「大丈夫大丈夫、エロ本なん漁らんし。」

いやいや。そういう問題じゃないから。
それにエロ本とかも無いから。
毎度の事だけど、制止と嫌そうな視線を無視してずかずか上がり込んで来れるこのひとは、一体どんな神経をしているんだろう。
不本意だが先輩の後に続いて部屋に入り、取り敢えず、チェーンロックの設置も視野に入れるべきかと検討しながらドアを閉めた。

「相変わらず味気無い部屋やな。」

「誰かさんの忘れ物で賑やか過ぎるぐらいですよ。」

不法侵入して開口一番がそれか。
嫌みで返したが、本当は皮肉じゃ済まない。
先輩を泊めたその日から、ライターを皮切りに僕の部屋には彼の持ち物が増えて行った。
「忘れ物」とは言うものの、取りに来たと言っては別な物を置いてゆき、更に質が悪い時は、取りに来た物と新たな忘れ物が部屋に置いていかれた。
本人が持ち帰らなければ僕にはどうすることも出来ない。
何度か先輩宅に届けに行こうとも思ったが、此処の最寄りの駅から数駅離れた場所に大荷物を抱えて行くのはどうにも気が向かない。
往復しようにもその交通費はかなり痛い。
そもそも何故そこまで僕が苦労しなければならないのだ。

(ていうかこのひと、絶対わざとやってるよな。)

生来僕はあまり物を持たず物欲も薄い方なので、必然的に部屋が簡素になってしまっていたのだが、今は殆ど使ってなかった筈の収納スペースも満員御礼の状態
である。
いつの間にか先輩の私服やらCDやら揚句の果てには下着まであるのだ。
何故なら終電逃した、レポート忘れた、寒くて帰るの面倒臭いなど様々な理由で、僕が住むアパートにしょっちゅう押しかけて、挙句泊まっていくからである。
最近は半ば同居しかけている状態だと気付いた時には、顔が青くなった。
膨れたビニール袋を机に置いて、背後を顧みると先輩がソファに寝そべっていた。

「何、寛いでんですか。せんぱい。」

「いやあ、疲れてもうて。」

溌剌とした顔で言われても、信憑性はゼロ以下だ。

「だからって横になんないで下さい。あなたそのまま寝るでしょう。」

「なぁイヅー、お腹空いた。」

人の話を聞け。
ごろんと寝返って、逆さまの先輩が狐みたいな顔で笑う。

「今日の晩御飯なんなん?」

「何だっていいでしょう。あなたには関係ないんですから。」

「いけず。教えるぐらいええやんー。」

因みに内容を言ったが最後、それボク大好物やねん〜!などと押し切られ食卓に着かれることになる。
お前の好物はいくつあるんだ、と突っ込みたい程度にはやりつくされた手なので、絶対にメニューは教えないつもりだ。

「ご飯はおうちにかえってたべましょうね。」

嫌味たっぷりに幼稚園児向けの口調で言ってやる。
駄々をこねる先輩には、今年で二十歳の男を幼児のそれだと思わさせるものがあるから(恐ろしい)、あながち間違いではない。
すると、

「だってイヅルのご飯美味しいんやもの。」

と照れもせずによくもまぁ。
一応人並みに家事はこなせるけれど、男の後輩に言う台詞じゃないだろ。

「そういうのは女性の方に言うものです。せんぱいって本当阿呆ですよね。知ってましたけど。」

「褒めとんのにヒドイ言われようや。」

もうええ、ふて寝したると先輩は本格的に寛ぐ体勢で、長身をソファに転がした。
どうにも微笑ましさに欠ける子供っぽさだ。
呆れるけれども、本当に寝られたら今日のお泊りが確定してしまう。
軽く溜め息が出た。
子供でもない大の男を甘やかしてばかりはいられない。

「性懲りも無く、今日も泊まって行く気ですか?」

「いやぁ、飯食うたら帰るよ。」

「そう言って帰った日なんか無いじゃないですか。」

というか食べてく事は確定なのか。

「あら、せやったっけ。ちゃあんと帰った日だってあったと思うけどなァ。」

「…………。」

どうしてまたそう意味の無い嘘を吐くのだろうか。
白々しいとか、それ以前の問題だ。
そのせいかは知らないけれど、僕はうっかり口を滑らせた。
日頃のそれなりの鬱憤、が溜まっていたのかも知れない。

「きせいちゅう、みたいですよね、あなた。」

「お前くち悪いな。」

一瞬言い過ぎたかとも思ったが、彼はひとつも堪えないと言うようにくくくと笑った。
その動じなさに、危うく二の句が継げなくなりそうになる。

「…………英語、で言うと、パラサイト。」

「なん、口で言うほどボクんこときらいじゃないくせに。」

予想外な切り返しに、僕はぎょっとして先輩を見てしまった。
何を根拠にそう思うかがまったく分からない。

「部屋が汚くなるは、食費は嵩むは、寝床は狭くなるはで大迷惑ですよ。」

正直に言えば、ひととして有り得ないと思う。
それでも先輩は、ソファに転がりながら、にっこりにたにたにんまりにまーっと謎の余裕を湛えた笑みを崩さず、

「でもそこの袋ん中、ちゃあんと二人分買ってあるやろ?」

と言って退けた。
先輩が示した先には、先程僕がスーパーで購入した食材の入ったビニール袋がある。

「ボクが気付いてへんとでも思った?」

「な、」

その笑顔に心臓のど真ん中を衝かれて、僕はさっと顔色を変えてしまった。
それを好機と捉えたのか、先輩はソファから身体を起こすと、台所のあるこちらに、指折り数えてやってきた。

「そうそう。それから、ボクが置いて行ったもん、しっかり整理して無くならんようしてくれとるし、最近ボクが寝る事考えて毛布も準備されとったね。」

目の前で中指が折り曲げられた。
大した本数は数えられていなかったけども、その指を今すぐへし折ってやりたいと心から思った。

「やさしーなイヅルは。ボク惚れてまいそう。」

嫌味な程柔らかく微笑んだ先輩を、至近距離で力一杯睨みつけ、吐き捨てた。

「……くだらない嘘吐かないで下さいよ。」

「あァ、ごめんな。うん、さっきの嘘。」

「…………。」

「最初から惚れとりました。」

「…………。」

いやちょっと待て。
今なんてゆったこのひと。

「初めて会うた時にびびっときて、今はもうめろめろです。」

「……は?」

「だから、寄生やのうて同棲やね。」

「え?いやいや、ちょっと、僕、」

「イヅル、ボクんこと好きやろ?」

「…………。」

「好きやろ?」

「…………嫌いでは、ないです。」

「素直やないな。」

からからと先輩は笑った。
僕はただただ、そんな先輩の前で木偶のように立っていた。
理解とか感情とか色々なものが頭に着いてきていないか、または追い越してしまっていた。
動揺しているのは、突然の先輩の告白になのか、ほだされている自分になのか。
いつの間にか頭が先輩のシャツに埋もれていて、つまり抱きしめられていた。
近い。
先輩の匂いがする。

「好きやで、イヅル。」

頭の上で囁かれるくだらない愛に返す言葉なんて、僕は知らない。
ただ静かに彼のシャツを握り締め、歯を食いしばる。

(こんな筈じゃ、無かったのに。)

寄生されている、と気付いた時にはもう何もかもが手遅れだった。

 

 

………………
一応つんでれとしあわせなおはなしです。(あれ?)
くちの悪い126さんにきゅんとします。

20110428.

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