無欲は、美徳。
寡黙は、得策。

満ち足りる事を知っている。
何時だって、過ぎた物事は全てを台無しにしてしまう。
例え、どんなに渇いていたとしても、僕は満たされる限界を知っている。
だから掬う水は、両手に一杯。
零れ落ちる程の量は不要。
両手に一杯だけの、水。

一杯だけ、掬う。
満たされる果て。


其れ以上を望まない事を僕は。


「イヅルは、ボクん事、どう思うとるの?」

にこりと、平常と変わらぬ笑みで問い掛けられた。
僕は思わず口を噤み、面食らったように、正面からその笑みを見つめ返した。

「……どう、と言われましても」

「好きぃとか、嫌いとか、苦手とか、あるやろ?」

念を押すように、少しだけ笑みが深くなる。
僅かな逡巡の後、僕は口を開いた。

「……尊敬の念を、抱いております」

隊長は、ほぅとわざとらしい音を吐いてから、更に追求する。

「なして?」

「……助けて頂いたあの時から、僕はあなたの強さに、ひどく憧れておりました。あなたは僕の目標であり、副官として全てを懸けて守らなければならない存在と、……そう思っております」

「敬愛か?」

「はい」

弓なりの瞳をやんわりと細めて此方を見遣る隊長に、肯定の意を返しながら、僕は静かに己の内をなぞっていた。

長い間焦がれていた。
そして貴方は、僕を傍に置く事を許して下さった。
此を至福と呼ばず、何と言おう。
こんな愚かで浅はかな自分には、不釣り合いな程、余りある幸せではないか。
あなたの傍で生きてゆける。

つまり、己は既に満たされているのだと。

「嘘吐き」

何故だか、不意を突かれた気がして、はっとした。
面を上げると、口角を歪ませて小さく笑う顔と目があって、僕はどうしようもなく、触れられてはいけない部分に手を伸ばされている予感して、思わず身じろいだ。

「なぁ、イヅル。お前はボクを、どう思うとるのや?」

ゆるりと、再度、問い正される。
しかし其れは見えない威圧感を孕む。

「……ですから、僕は貴方を死神として強く尊敬して、」

至極冷静な佇まいでいても、内心はひどく落ち着かない。
追い詰められている。
ひたりひたりと、迫り来る足音のように密やかで、しかし確実に。
冷たい物が背筋を撫でる。
にたりと、ひどく愉快そうに彼が嗤うと、反射的に脳髄の奥底が警報が鳴らした。
開かれた其の眼は、けもの。
獲物を追い詰め、狩り、喰らうけものの其れ。

「ちょお、質問の仕方変えよか」

向けられた視線に、射竦められた。
その瞬間、戦慄した。

「嘘吐いたらあかん。他人行儀も、形だけの礼儀も要らん。配慮も遠慮も建て前も、お前を止めるもん全部、言うん許さんよ」

気付いてしまった。
貴方が許さないと言う。
ならば、僕にはそれに従う以外に為すべき事は無い。
つまり、逃げ道も、堰止める為の手段も、全てを彼によって奪われたのだ。
剥奪され、取り払われた後に残ったのは、浅ましいまでに剥き出しになった、

「……ぁ」

脳が本能的に、逃げ出したいと絶叫している。
けれども、その本能にすら彼の言葉が喰い込んでいて、僕の総ては彼に支配されているのだと、今更望むべくも無いことを思い知らされる。
其の眼から、逃れられない。
言葉に詰まり、喉を震わせて、ただただ嗚咽に近いものが吐き出される。

「っぁ、……あぁ、っ…あ」

ずるずる、ずるずる。
気付いてはならない、触れてはならない、現してはならない事が引きずり出されようとしている。
僕が満たされている限り、忌むべき、深遠の奥底に沈めておくべきもの。

望んではならない。
願ってはならない。
欲してはならない。

全ては、貴方の傍に居続ける為の無欲。
其の、成れの果て。

「……あ……ぅ、ぁ」

「なあ?どう、思うとる。イヅル」

僕を射る其の眼は、密やかな欲望を秘めている。
水を溢れさせる事も厭わない貴方の其れは、僕と正しく真逆。
きっと、だから溢れてしまう。

「ボクを」

満ち足りる事を知っている。
何時だって、過ぎた物事は全てを台無しにしてしまう。
例え、どんなに渇いていたとしても、僕は満たされる限界を知っている。
けれど。

「……ぼく、は」

「イヅル」

ただ一言、あいしていると素直に言えば良いだけなのに、と彼は酷く嬉しそうな顔をした。
破滅的な、其の感情の行き場を知らない僕の鼓膜には、水の零れ落ちる静かな音が聞こえている。

………

幸福の許容量を広げることに怯えるイヅル。
幸薄そうな原因はそういうんじゃないかと思う。あと、市丸はそれを知ってて追い詰めればいいと思う。

 

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