花一匁

匁 匁 花一匁
あの子が欲しい
あの子じゃ分からん
相談しましょ そうしましょ
ちょいとまぁわぁれ


ぴゅうと細く音が鳴る。
辺りは夜闇。
陽なんてとっくに落ちた暗い暗い夜の中。
口笛の誘い。
その意味はひとつだけ。
ほらほら、蛇が参るよ。
おそろしい蛇が連れてゆくよ。
あばら家が連なる道の先に、立派な屋敷。
本当なら蛇を呼ぶ必要なんてないだろうに。
それだけこの村が衰退しているのだろう。
底辺に近しい者から貧しさと飢えで死んでゆく。
そして未だ足掻けるものは、売れるものから売り払い、死期を少しばかり延ばした。
生存と云う大義名分の下、それこそ何だって犠牲にする。
何処の村も変わりはない。
裏口のような戸の前に、人目を忍ぶように人影がいた。
男の手にする提灯の明かりがぼんやりとそれら照らした。
身なりの良いおとことおんな。
ぼろを着たひとりのおんな。
まだいとけない子どもら。
一様に青白い顔。
暗がりから現れたものを見ると、子どもらは怯えて大人の陰に隠れた。

「今晩は。」

男が善人のような笑みで云う。
しかし、かれらの緊張は解けぬまま。
着飾った方のおんなは、先程から引っ切り無しに辺りを見回して忙しない。

「早いとこ連れてっておくれ。」

忌まわしいものを見る目でおとこはこちらを一瞥し、己の陰の子どもらを押し出した。
男は相変わらずの人の良さそうな笑みを浮かべたまま、懐から小さな麻袋を取り出した。
軽い音を立てて、袋は引ったくるように受け取られる。

「こちらにおいで。」

手を差し延べる男。
子らは、いたいけな素直さで以って、男の手を取る。

「さあ、行こうか。」
「どこへ?」
「森を抜けた先さ。離れてはいけないよ。」

ゆっくりと、男は夜の中へ歩き出す。
揺れる明かりに、惹かれるように子どもらも歩き出す。
飛んで火に入るなんとやら。
冷めた頭は呟いた。
ふと、戸口の大人を見つめたまま、その場を動けずにいるのが一人いた。
ぼんやりとした色素の薄い子ども。
篝火は先へと進む。
仕方が無いので、呆然と突っ立っている子の手を引いた。
自分より頭一つ分小さい。
驚いたようなかおをするので、

「ついておいで。」

と云うと、小さく頷きが返って来た。
手を握ったまま歩き出す。
子は不意に歩みを止めて振り返る。
ははうえ、と戸口に立つどちらかをそう呼んだ。


さみしいか、と問うとはい、と云った。
かえりたいか、と問うとわかりません、と云った。
畳に寝そべった、だらしのない恰好の自分とは対照的にぴしりとした正座を崩さない。
ひとり、ふたりとまた何処かに買い付けられた。
最後に残ったこの子は、買い手が決まるまで自分の暇を潰す相手にしていた。

「どこへゆくのですか、いちまるさま。」
「ちぃとその辺や。」

何処かに行こうとすると、子はそうすることが当然であるかのように後を追ってきた。
周りは得体の知れぬ大人ばかりだから、当然と云えば当然だ。
しかし、その大人と自分、どちらも変わりなど無いのだ。
小さな手が自分の着物の裾を掴む度に、何とも複雑な気分になった。
雛鳥のようだね、と人買いの男はしゃあしゃあと、眼鏡越しの瞳を微笑ましそうにさえして云う。

「鳥なら籠に入れとくモンでしょう。」

その面皮の厚さに呆れ、皮肉を返せば男は平然と云って退けた。

「誰も、籠無しに鳥を飼おうとはしないよ。」

子どもを品定めに来る人間は、毎日やって来た。
何人かはあの雛鳥のような子に目を止めていた。
その内の誰かがこの子を連れていく。
いつものことだ。
幼い頬をつつきながら、平然と思う。
口は他人事を云う。

「お前はどこいくんやろなぁ。」
「ぼくは、ここにいるのではないのですか。」
「阿呆。買われたらはなしは別や。」

こうして買われて、連れてこられた子どもは何人いただろう。
ある子は泣いた気がするし、ある子はすべてを諦めたような顔をした気がする。
元は同じなのに、のうのうとそれを手伝っている自分をかれらと比べて幸とも不幸とも思わないけれど。

「せや。ボク、これから行かなあかんとこあるんや。」

のろのろと起き上がると、子も続く。

「どこへ。」
「あぁ、今日は着いてこんといて。」
「なぜですか。」
「いつもよりちぃと難儀なとこなん。お前なん連れてけへんわ。」

自分でさえ少々胸の悪くなるような、とても趣味の悪いところ。
そこへ男に付き添ったのは一回きりだけども、思い返せば腰は重い。

「やから此処に居り。」
「……はい。」

聞き分けの良い素直な子。
こう云うのを好む輩は、存外多い。
まだ買い手が見付からないのは、大方あちらもこちらもと話が纏まらないのだと思っている。

「良え子にして、待っといで。」

子どもはこくりとうなずいた。

 


後ろを振り返ればあの子が居る。
それが当たり前と成っていることに気が付いたのは、三度目にあそこに行った時だ。
あそこに行くときだけは、あの子を残した。
つい、後ろを向きそうになる自分を男に気付かれていなければ良いと思う。

「未だ、話纏まらんのですか。」
「おや。気になるのかい。」
「ちゃいます。」
「まぁ、買い取ってから結構経つからね。」
「付き纏われて、迷惑しとるんですよ。」

おやおやと男は目を細める。

「あの子には予約が入っているんだよ。」
「予約ですか。」
「そう。」

もう暫くしたら、と男は云った。

 

四度めには、あの子も連れて行く。
けれども今日も今日とて、あの子はつかず離れず傍に居る。
他愛も愛想も無い話をいつものように口にしながら、頭の中は渦を巻く。
ぐるぐると、ぐるぐると。
形の無い何かが、あちらこちらに引っ掛かり何かを引きずり出そうとする。
逃れるようにふらりと歩きだせば、半歩遅れてついて来る足音。

(これのせいや。何も知らんくせに阿呆みたいにくっついてきよるから。)

「何でや。」
「え?」
「そらお前と変わらん餓鬼やけど、ボクはあのおっさんと同しなんやぞ。」
「はぁ。」
「何でボクに着いてくんねや。そないなまでくっついとらんとあかん訳やないやろ。」
「…………。」
「そうせぇ云うたかボク。」
「はい。」
「え?」

思わず顧みると、子はとぼけるでも無く、ただいとけなくこちらを見上げていた。
云った。ボクが。いつ。なんて。

「ついておいで、とおっしゃりました。」

最初の最初。
あなたが手を引いて、そう云った。
だから、

だから。

「それではいけないのですか。」

此処に来て、子は初めて不安そうな顔をした。
きゅっ、と小さな手が着物の端を握る。
頭の渦が大きくなる。
あぁ、と声に成らぬ息が漏れた。

「名前。」
「え?」
「お前、名前は何て云うん。」

けれど気付いたところで、この子は自分のものでは無かった。

 


あそこに行くのは必ず月の無い夜だった。
細くなりつつある月から、男に目を移す。

「……藍染さん。」

呼んだ声で口が渇いている事に気付く。
書き物をしていて振り向いた男は、穏やかな顔をしていた。

「ギン。明日は新月なのだから早くお休み。」
「藍染さん、あの子は……。」
「あぁ。」

緩く、部屋に風が入り込む。

「勿論連れていくよ。」
「こんだけ経って、何で今更。おかしないですか。」
「云ったろう、予約が入っていると。そろそろ引き取ってくれるようだから、連れていくことにしたんだ。」

優しくねじ曲がった男の微笑。

「良かったじゃないか。君もこれでせいせいするだろう?」

腹の内は覗かれている。見られている。
こんなにもどうしようもない感情は初めてだった。
男は微笑んでいる。
それでも口を突いて、言葉は出た。

「藍染さん。あの子を、ボクに下さい。」
「あの子、じゃあ分からないよ。ギン。」
「イヅル。イヅルをボクに下さい。」

素直で従順に自分を慕う子どもは、名を問えばそう答えた。
呼べば、はい、と顔を綻ばせた。
それだけで心は固まってしまった。

「全部、えらい骨折りなんは分かっとります。」
「うん。」
「ボクに出来ること何でもします。せやから頼みます。」

予約。他人のもの。呼んだ。呼ばれた。着いてきた。触れた。慕った。自分のものじゃないものが欲しい。

「ボクにイヅルを買わせて下さい。」

下げたことなど無い頭が床に触れる。

「成り振り構っていられないほどかい。」
「ええ。」

ぴたりと頭を下げたまま、返答を待った。
男は愉しそうに云った。

「最初から、僕は君があの子を気に入るだろうと思っていたよ。」

思わず上げた目線の先で、狸の笑顔と鉢合わせる。

「では、相談だね。」

待ち兼ねたよ、と微笑む腹はやはり黒い。

 

いづる、と呼んだ。
はい、と返事が返された。

「どっか行きたいとこあるか」
「いえ……ありません」
「どこでもええんやで」
「いかねばならないのでしょうか」

またイヅルが不安そうな顔になったので内心ギンはほっとした。

「ううん、ええんよ。じゃあ、イヅル。ボクの傍に居って」
「……いつまで」
「ずっと」

ぱっとイヅルの白い頬が色付いた。
そして初めて嬉しそうに笑った。

「死んでも傍に居ってな」
「はい、いちまるさま」

もう一度さみしいか、と問う。

「いいえ。あなたといられるなら」

 

 


(20111012)

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