最初はただきれいなひとだと思った。
ひやりと笑う、きれいなひと。

「イヅル」

そのひとはイヅルと呼んだ。
イヅルの名前を手慣れたように容易く口にした。
見知ったような手つきが髪を撫でた。
しらないひと。
けれど不思議とイヅルは馴れ馴れしいとは思わなかった。
彼は市丸ギンと名乗った。

「奇遇やね、イヅル」

銀の髪が風に揺れる。
時たまイヅルとギンは出会う。
そのたびにギンはイヅルを何処かに連れ出した。

「毎回奢っていただいてしまってすいません」

イヅルは苦笑混じりに頭を下げた。
手元のカクテルはギンに勧められて頼んだものだ。
案の定、美味しかった。

「ええよ。付き合うてもろてるのボクやよし。気にしいな」

にこりとギンは笑って、くいと自分のグラスを傾けた。
グラスをカウンターに置くと、氷がカラリと小気味の良い音を立てた。
ひそやかなBGMが流れる薄暗い店内はマスターを除けばギンとイヅルの二人だけだった。

「市丸さんは結婚とかしてらしてるんですか?」
「ううん。ボク独り身や」

ギンは何も無い左手を振る。

「でも市丸さん結構モテるでしょう」

品のよいスーツを纏った長身や整った顔に浮かぶ柔らかい笑みを見れば、女性がこころを動かされるだろうことは想像に容易い。
同じ男として羨んでしまうが、不思議と劣等は無かった。

「なぁ、イヅル」

名前を呼ばれた。
ギンのイヅルを呼ぶ声は、まるで昔から聞いていたように何故かするりと耳に馴染んだ。

「イヅルには誰かいてるん?」
「市丸さん」
「え?」
「市丸さんと僕って以前どこかでお会いしたことありましたっけ?」

市丸は驚いたように目を丸くした。
あ、とイヅルが声を上げる。

「突然変なこと聞いてすみません」
「あ、いや、別にええよ。ボクとイヅルはこの前会ったのが初めてやと思うてんけど」
「ああ、やっぱりそうですよね」

考え過ぎか、とイヅルは納得した。

「どしたん?」
「いえ、何でもないですよ」

そう言って有耶無耶にしてイヅルはカクテルに口付けた。
喉を通り抜けるアルコールがじんわりと染み込んでいくような感覚。
元から酒に強くはない。
少しぼんやりとした思考でイヅルは初めてギンと会った時を思い返した。
街灯に照らされた銀髪がひどく人目を惹いていた。
だが、イヅルにとってそれ以上に印象的だったのは。

「そういえば、どうしてあの時市丸さんは僕の名前を呼んだんでしょう」
「さあ……なんでやろ」

ギンは肩を竦めたがイヅルに落胆した様子は無かった。
最初から答えを期待していなかったようだった。
何故声をかけたのか。
何故名前を知っていたのか。
何故二人こうしているのか。
こうして考えれば、ギンとイヅルの出会いにはつじつまが合わなくて不可解な点がいくつもある。
けれど二人とも出会いの不自然さを何とも思ってはいなかった。
寧ろそれらを、すとんと受け入れることこそが自然で、それは互いに暗黙の了解のようでもあった。
だから今のような当たり前のイヅルの疑問は無粋であって、イヅルは少しの後ろめたさすら感じていた。
閉口したイヅルに倣ってギンも暫く沈黙した。
マスターが店の奥に消えたのをきっかけにギンが口を開いた。

「……ただな、ボクはイヅルを知ってた気がしたんや」
「えっ」
「あん時初対面やったのは本当やよ?けど初めて会った気がせえへんかった」

おかしな話やろとギンは笑う。
イヅルはおかしいなんてちっとも思わなかった。
本当はギンもおかしいだなんて思っていなかった。
何がどれだけ不可解だって不自然だってつじつまが合わなくたって、それはたった二文字で無意味になる。
二文字。
多分二人とも分かっていた。

「…………」

傍目から見たら、きっとこんなのおかしいのだろう。
アルコールなんかよりもたった二文字の、都合の良い言葉に酔っている。
ああ、でもこれでいいのだ。
グラスに残った最後の一口を飲み込んで、ギンは頭の中でせっつく衝動に従う意を決した。

「なあイヅル」

白く細いイヅルの手にそっとギンは自分の手の平を重ねた。
やや緊張した面持ちのイヅルがゆっくりとギンの方に目をやると二人見つめ合った。
曖昧な予感は確信めいたものに変わった。

「イヅルには誰もおらんのやろ?ほんなら……」
 
 
初めて「運命」と言う言葉の意味を知った。
 
(2012.0101)
 
………
今年初のギンイヅです。
運命なんてあんま信じてないけど、この二人にならあってもいいと思うのです。
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