外は白かった。
牡丹雪が瓦や地面を、薄明るく染めている。
闇に沈まぬ景色と異様なほどの無音である。
どうしてこう、雪に包まれた世界は静かなのだろうと身一つ震わせずにギンは思う。
しんしんと音にもならぬ。
踏み締める雪は積もり立てで、何の抵抗も無くふわりと草履の形に沈んだ。
邸宅まではまだ距離がある。
後ろめたさなんて最初から持ち合わせていなかったけれど、ちょっぴり急いで帰ってあげようかなどとは思いやりとは似ても似つかぬ気まぐれである。
白い景色に異色を見て、はたとギンは歩みを止めた。
一本道の向こうから白色を裂いてやってくるのは黒服、金髪、藤傘。
僅かに覗く肌だけが景色と同じだった。
さくさくとギンに歩み寄り、ようやく表情が拝める距離になる。
傘下のイヅルは、泣き出しそうであり憤りそうであり笑い出しそうであった。
イヅルの視線はギンの差す、紅傘に注がれていた。
 
「……雪が降って参りましたので」
 
搾り出すように言ったイヅルの左手には右手とは別に、畳まれた藍の傘が握られていた。
言葉通り雪は降り続けている。
 
「傘、折角持ってきてくれたんにご免なァ」
 
幾分白く染まった紅い傘の下でギンは笑った。
別段、ギンに隠そうなんて腹は無いがイヅルには何も言っていない。
けれどイヅルは、一瞬、表情を強張らせた。
傘か、白粉の匂いか、ギンが歩いてきた方角か。
いずれにせよイヅルは一を聞いて十二分に理解したらしい。
ギンはそう解釈して、けれどまるで何事も無いようにあっけらかんと言った。
 
「寒いな。帰ろ、イヅル」
「嫌です
「風邪引くよ」
「帰るならば、お一人で帰って下さい」
 
イヅルは動かない。
 
「その傘と並んで帰るのは、嫌です」
 
俯いたイヅルの顔はギンには見えない。
 
「やはりおんなの方が宜しいのですか」
 
静かな声だった。
 
「ぬくうて柔らかいのはええな」
「……それならば」
「あんなん、ボクどうでもええねん」
 
ギンはそれを遮って言う。
いっそ鮮やかにしゃあしゃあと言って退ける。
 
「いっとう好いとるのはお前や」
「その言葉を何度僕が信じたとお思いですか」
「ボクにはイヅルだけや」
「嘘ばかり仰る」
 
斬り付けるようなイヅルの言葉だけれどギンには何の感傷もない。
ただ肩を竦めて笑顔で嘘を吐いた。
 
「嘘やないよ」
 
意味の無い嘘だ。
否定は早かった。
 
「嘘吐き」
 
相手が分かっているのに欺く嘘に意味は無い。
だがギンはそれしか語らない。
 
「ボクはイヅルを誰より愛しとるよ」
「本当に酷い」
「愛しとる」
 
にこり、ギンは綺麗に笑んだ。
一歩踏み出し、流れるような動きで傘を投げ捨てる。
距離を詰め、イヅルを抱きしめた。
 
「愛しとるよ」
 
耳元に貼付けるように囁いた。
藤の傘が雪に沈む。
牡丹のような雪が、二人の髪に肩に降りかかる。
薄い身体は支えを無くしたかのようにギンの腕の中に収まった。
くたりとしたイヅルを支えながらギンは、今だに藍の傘を握る彼の手をそっと包んだ。
イヅルの手は温かかった。
 
「殺して下さい」
 
イヅルがそう呟いても、やはりギンには何の感傷も生まれなかった。
包んだ白い手の甲を、易しく撫でる。
 
「ええよ。どんな風がええ」
 
いっそ、指を絡ませると最後の傘も無くなった。
やはり温かい手だった。
 
「隊長の、お好きになさって下さい」
「うん」
 
何時もやっているように斬り捨てようかと腰の神鎗に手を伸ばしかけたが、それではなんだか面白味に欠けるような気もした。
折角、自分を好いてくれたのだから普段とは違った風にやるのも良いと思った。
ふと景色に目が行き、今夜は雪を血で汚すのは止めておこうと思った。
 
「決めたわ」
 
ゆっくりとイヅルはギンに預けていた身体を起こした。
それを認めてから、ギンはその細い首筋に両の手を宛がった。
 
「あんな、おんならがどうでもええんはほんまやねん」
 
更に言えばギンは誰もがどうでもよかった。
イヅルは少しだけ泣いているようにも見えた。
 
「あなたをお慕い申しております」
「うん。さいなら、イヅル」
 
イヅルの首を絞める間もしんしんと雪が積もっていた。
息が絶えたのを見届けて、ギンはイヅルの死体を柔らかい雪の上に寝かせた。
先程以上に完璧に力の抜けた身体はまるで人形だった。
がくりと垂れた頭を起こして、前髪を払いのけてやる。
死に顔は眠っていると言ってもおかしくなかった。
試しに口づけをした。
長く長く、唇を奪った。
自分の息が続かなくなるまで。
イヅルの最後の温もりを貪るように。
まるで現世の童話のようだと思った。
最愛の人の口づけで目覚めるお伽話。
誰に聞いた話かと首を捻れば、それを話していたのは彼だった。
ようやく、顔を離した。
当然、イヅルは目を覚まさなかった。
改めて死に顔を見た。
まるで寝顔のように穏やかで、それでいて直前の今にも泣き出しそうな雰囲気がイヅルの顔には残っていた。
ああ、とギンは直感で思った。
この子は死んでも自分のことを好いているのだ。
不思議と胸を打たれる思いがした。
それどころか、イヅルの顔を見ていると妙に心臓のあたりがざわついた。
物を言わず、物を考えなくなったイヅルの死体に、ギンは彼の生前に感じたことのない胸の高鳴りを覚えていた。
 
(もう何も喋らん、やらん、でけへん。あんのはボクへの想いだけで、)
 
惚れた腫れたとかそういうものをギンは煩わしく思っていたが、死体に想われるというのはそういうものが一切無く、ギンは妙に嬉しくなった。
先程までどうでもよかった存在が、急に愛おしく感じられた。
それに死体は綺麗なままだった。
斬らなくて良かった、とギンは心から安堵した。
 
「なんや、ボクら両想いやったんやね」
 
雪に埋もれるようにして横たわるイヅルの傍でギンが囁いたのは、かつて無かったほど、甘ったるく優しい声だった。
これが恋か。これが愛か。
 
「好きや、イヅル。」
 
ギンは壊れ物を扱うように優しく丁寧な手つきで、イヅルの積雪を払い、両腕で抱え上げた。
ついでに藍の傘も拾い上げる。
 
「帰ろイヅル。ほんでずっと一緒に居よ」
 
その前に涅はんとこ寄らんとやね、とギンはイヅルに言った。
白い道に藍の傘が咲いた。
それっきり夜は静かになった。
あとはしんしんと雪が、残された二つの傘を音も無く消失させるだけだった。
 

2012.0201
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