遠出した先で、小隊が壊滅、あの子が死にかけたと聞いた。
内蔵がひゅっと浮くような嫌な浮遊感に襲われた。
弄んでいた筆がべしゃりと床に墨溜まりを作ったが、ギンはその事にも自分がかつてないほどに目を見開いていることにさえも気付かなかった。
ぞぞぞ、と悪寒が背筋を這い上がり、脳天を目指す。
怖気が脳味噌で実感に変わると一瞬で全身が汗ばんだ。
ギンを形成しているものは今や致命的に壊れかかっていた。
気付けば肩で息をする三席の胸倉を掴み上げ、あの子の居場所をほとんど裏返った声で問うていた。
思考が隙間が無くなるほどに切羽詰まっていた。
三席が、副隊長は四番隊に、と至極当前の事を息も絶え絶えに報せたのを皮切りにギンは三番隊舎を飛び出した。
落ち着いてください、と悲鳴じみた四番隊士の脆弱な制圧を跳ね除け、ギンは治療が行われているであろう部屋に押し入った。
 
「イヅル!」
 
金切り声に近い呼び声は、舌がもつれて最早言葉になんてなっていなかった。
扉を開けた先には、清潔感と血と消毒液の臭いに満たされた部屋。
管の絡まった複雑そうな機械の傍に四番隊長、卯ノ花と数人の上位席官と思しき隊士がいた。
そして彼らが囲む一つの寝台の上に横たわる、イヅル。
人影の隙間から見えるイヅルは先程の管に繋がれ、体は所々、赤い。
卯ノ花は憮然と、席官らは不安げにギンを見つめた。
構わず駆け寄ろうとすると前に出た卯ノ花に押さえつけられた。
 
「落ち着いてください、市丸隊長」
 
「イヅッ、イヅルは?大丈夫なんですか?容体は?気ィ失いよるんですか?四番隊長さん、イヅルは大丈夫なんですか?生きとんのですか?ほんまっ、ほんまにお願いやさけ、あの子は、あの子だけはっ、ボクっ」
 
ぱんっ、と鋭い破裂音。
頬の痛みはそれから一拍遅れてやってきた。
 
「落ち着きなさい」
 
幾分柔らかな口調で諭され、ギンは自分が目の色を変えていたことに気付いて我に帰った。
すんまへん、と掠れた声でギンは己の醜態を謝罪した。
それを慰めるように美しい手がギンの肩を包み、寝台の傍の椅子に腰掛けることを促した。
つん、と鼻につく薬の臭い。
鉄錆の臭いのする残り香も消えてはいない。
間近で見たイヅルにギンは絶句した。
 
「生きているのが奇跡的と言ってよいでしょう」
 
静かに卯ノ花は言った。
その穏やかさは沈痛ですらあった。
イヅルは目を閉じていて、外傷と繋がれた管さえなければたおやかに眠りについているようにさえ見えた。
 
「傷が深く、出血が酷かったのですがどうにか止血が間に合いました。何度か傷口が広がったようで、あと少しここに来るのが遅ければ失血死をしていたかも知れません」
 
ギンは迅速な対応をした部下の誰かに心底感謝した。
死屍累々の現場で、まだ息のある人間を見つけ救おうとするのはそれこそ死に物狂いだったはずだ。
 
「あの、イヅルを運んでくれたんはうちの何席ですやろか?」
 
少なくとも直に礼は言わねばならないと、市丸が問うた質問は、何故か卯ノ花の瞳を伏せさせた。
 
「恐らく七席の方だと思われます。けれど市丸隊長、吉良副隊長は誰かに運ばれてきたのではありません」
 
卯ノ花の顔は悲痛に満ちていた。
 
「吉良副隊長は自力で四番隊にたどり着かれました。……それも、瀕死の隊士を背負って」
 
それが七席の方です、と卯ノ花は言った。
 
「……は?」
 
思いもしないことを言われ、ギンはそんな、間抜けな声しか出せなかった。
趣味の悪い冗談にしか聞こえなかった。
どんな楽観視をしても、イヅルの身体は歩くどころか立ち上がることすら不可能だった。
ましてや他人を担いで運ぶなんて、到底出来っこない。
無理なはずなのだ。
それをやってのけたと、卯ノ花は言う。
壮絶なものを感じ、ギンは背筋の凍る思いがした。
 
「そん、七席は……」
 
「先程息を引き取られました」
 
申し訳ありません、と卯ノ花は自分たちの力が及ばなかったことを侘びた。
ギンは奥歯を噛み締めた。
 
「あんたさんらが全力を尽くしてくれたんは分かっとりますよし……お陰さんでイヅルはなんとか」
 
「本当に生きているのは奇跡的です。彼の生命力はとても強い。強いのですよ、市丸隊長」
 
言い聞かせるような卯ノ花の言葉。
その通りだとギンは思う。
けれど彼女の宣言は一抹の不安をギンに与えた。
取り返しのつかないようなどうしようもない、そんな危うさを何故か予感させた。
 
「市丸隊長」
 
「はい」
 
「彼が何故生きたか分かりますか?」
 
「……」
 
「貴方を守るためですよ」
 
「分かっとります」
 
最後に彼女はこう言った。
 
 
 
 
「彼はもう、目を覚まさないかも知れません」
 
……
長くなりそうなので連載と言う形にしてみたり。
祝いきれるだろうか筆者も分からない。
ぬるく応援してやってください。
(2012.0401)
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