「あのさあ、前から聞きたかったんだけど」

「なん」

「アンタってホモなの」

酒の飲み下し方を間違えたギンは盛大にむせて喉を痛めた。
お絞りで手と着物を拭いながらギンの心持ちは心外の極みであった。

「いきなりなんちゅうこと言うの乱ちゃん。ンな訳ないやろ」

「あらあたしはてっきり」

「え、なに。ボクがホモなんそない根も葉もない噂まで流れとんの」

傍若無人の代名詞こと市丸ギンのろくでもない噂がそこら中で飛び交っている知っていたが、流石にホモというのは聞き捨てならなかった。
事実、ギンはノンケである。

「根っこも葉っぱもあるわよ」

乱菊はぐびりと焼酎を一杯煽る。

「はあ?どこにや」

「だってほら副官の吉良。いつも傍に侍らせてるじゃない」

吉良イヅル。
不健康な白い顔の上にいつもなにやら難しそうな表情を浮かべている男である。

「ああ、イヅル?ちゅうか侍るて。その言い方止めて」

「きっちり三歩後ろ歩かせてさぁ。あれじゃまるで貞淑な嫁よ」

ギンはあの痩せこけた副官が後から着いて来る普段の情景を思い浮かべた。

「いやいや嫁はないやろ嫁は。普通に仕事としての上下関係やん」

「それにアンタ最近夜遊びはどうしたのよ。吉良が副隊長になってからめっきりじゃない」

「それはイヅルが口やかましく仕事して下さい言うて残業まできっちりやらせるからや。怖いこと言わんといて」

「ていうかアンタ、吉良のこと気に入ってるんでしょう」

度重なる否定にめげず畳かけてくる彼女は一体なにを考えているんだろうか。
この程度で幼馴染が酔うわけがないので素面か。
質がわるい。

「今まで散々合わないとか喚いて副官他所に飛ばしてたくせに吉良になった途端ワガママが音沙汰なしよ。お気に入りって思われても仕方ないじゃない」

「イヅルが使える子で今までのんが役立たずばっかだけや」

「アンタも非道なこと言うわねえ」

「せやかてほんまやもん」

何冊という辞書を奇跡的な圧縮率で頭蓋骨に収めているとしか思えない知識量とそれを上手いこと応用する器量でイヅルは三番隊の最前線でせっせと書類をこなしている。
事務嫌いなギンにとって部下はデスクワークができるに越したことはない。
何故イヅルを手放さないかと言えば彼に対する個人的な感情はというよりは、根本的にギンに従順で有能な彼を手放す必要性を感じていないだけである。

「でも吉良を副官にするために市丸が裏で手を回してた、なんても噂されてるのよ」

ぶばぁ、とギンの口から霧吹きの如く酒が噴射された。
乱菊が眉を潜めて顔面にお絞りを投げつけてきた。

「汚いわよ」

「勘弁したって。そんな噂まで流れとんの」

狼狽しながら顔を擦るギンだが乱菊は同情の欠片も見せない。

「現状が現状だから信憑性も高いのよねえ」

「あれは藍染のオッサンが勝手にやった人事や。ボクの意思なん、これっぽっちも入ってないわ」

拗ねたようにギンが断言した。
いやはや、噂もここまで来ると怖いものである。
尾鰭も胸鰭も背鰭までくっつけて、100%想像の産物と化していた。

「どないしょ。流石にそないな噂は御免やわ。どっかの可愛え女の子と噂でも立てれば良えんやろか」

「あら、いっそのこと事実にしちゃったら良いのに」

「乱ちゃん。冗談はその乳だけにしてや」

「吉良って結構アンタの好みだと思うんだけど」

真面目な顔で言わないで欲しいとギンは思う。
これが冗談じゃないなら一体何が冗談なのか世の中が分からなくなるから。

「献身的で謙虚な子とか実はアンタ好きじゃない。よく見ると可愛い顔してるし」

「あんな眉根寄せた陰気な顔、可愛くないやろ。ちゅうかボクほんまにそっちの気無いから」

乱菊は人の話を聞かない。

「あら。あの子かなり良いパーツ持ってるのよ。目は大きいし意外と睫毛も長いし。肌なんか若いからすべすべでしかも色は白くって。羨ましいわあ。日焼け知らないんだわきっと。鼻筋もすーっ通ってて良い顔付きじゃない。それに下級とは言え貴族でしょう。俳句とか綾取りとか嗜んでて、浮いた噂もないし箱入り娘そのものよね」

「乱菊、お前日本語おかしい」

枝豆を摘まんでいないで箱入り娘の意味を調べ直して欲しい。

「いっつも困った顔してるから分かりづらいのよ。あの子もっと笑えば良いのに」

「笑たって半笑いか引き攣り笑いが関の山やろ」

そもそもギンはそのぐらいしかイヅルの笑い顔というものを見たことがない上、思い返しても常に困り顔なので満面の笑みを想像するのもちょっと難しかった。

「じゃああの子を笑わせてみたらいいじゃないの」

至極当然だろうと言う調子である。

「あのなぁ、乱ちゃん」

「山みたいな書類を健気に片付けてくれてる優秀な部下なんでしょ?普段の労いにご飯でも奢ってあげればいいのよ」

暗に散々面倒かけてるんでしょうこの駄目上司、と窘められた。
乱菊の威圧にギンの肌がちくちくとつつかれているのだがはいそうですね了承するのは気が進まない。

「せやけどそんなん行ったらますます噂がおもしろおかしゅうことになると思うんやけど」

二人で食事に行くところなど見られた日には逢引きがどうこうなんて話が出回るというギンの想像は概ね間違ってはいないだろう。
だがしかし乱菊は恐ろしい剣幕でギンに迫った。

「ハア?身内より世間体なんてケツの穴のちっちちゃい男ね。幻滅したわ」

「うぐ」

苦労をさせているという自覚はあったので、大変に胸が痛かった。
駄目上司でごめんなさい。

「まあ……たまにはメシ奢るくらい良えか」

ギンの回答に満足したようで乱菊は大仰に首肯した。

「うん。よろしい」

「せやけど変な意味は無いで。純粋にいつもご苦労さんってことやからな」

「分かってるわよ」

念のため釘を刺しておくと乱菊は意外なほどあっさりと了承したのでギンはあれ、と拍子抜けした。
何となく一連のやり取りから思い当たったことを聞いた。

「もしかして乱ちゃんてイヅルんこと気に入っとるのん」

「だってあの子はとってもいい子よ」

今更と言いたげに乱菊は肩を竦める。
この前もあたしのネイル褒めてくれたの、と嬉しそうに美しく揃えられた爪をギンに見せびらかしてきた。

 


数日後、早速イヅルを食事に誘ったギンは乱菊に泣き付いた。

「乱ちゃんどないしょう。イヅルが笑ろた」

「笑ったのなら良かったじゃない。何がどないしょうなのよ」

「なんやあれ。可愛えやん」

「だから言ったじゃない」

「普段地味な顔しとるくせにいきなりふにゃあって笑いよった。あんなん卑怯や反則や」

「笑顔見ただけにしては動揺し過ぎね。何、あんた勢い余ってキスでもしたの」

「…………」

「まさか襲ったとか言わないわよね」

「イヅルの夢見てん」

「どんな」

「……ボクとイヅルがセックスしとった」

「あら」

「ボクが突っ込んどった。しかもめちゃめちゃ良かった」

「で?」

「……朝起きたら夢精しとった」

うわあああああと叫んで達磨のようにごろごろとギンは床を転げ回る。

「あたしの可愛い弟分を泣かせたら承知しないからねギン」

乱菊はしゃがみ込み、煩悶するギンにやはり真面目な顔でそう言い渡した。

 

 

…………
乱菊姉さんと弟ないづるちゃん。

 

 

(2012.08.04)


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