両手いっぱいの鯛焼きの袋を抱えて恋次がほくほくしていると、そこに狐さんが現れた。

「あ、赤犬くんやないの。ちょうど良かったわ」

うわ、折角のオフになんてものと遭遇してしまったんだ俺は。
赤犬と呼ばれた恋次はげんなりと目を細める。

「あんなあ、ちょっと相談に乗って欲しいのやけど」
「え、なんで俺なんすか」

狐の相談なぞ相手にしたらろくなことにならないと犬の嗅覚が告げている。
下手な返答をしようものならざっくり斬られるかぺろりと平らげられるかのどちらかだ。
ここは逃げるが勝ちである。

「すいません。俺忙しいので」
「お話聞いてくれはったらお礼ぐらいはするんやけど」

ギンが袂から覗かせたのは甘味処一年間フリーパス券。
恋次がぎょっと目を見開く。

「ついでやし、そこで餡蜜でも食べながら話そか」

大量のたい焼きを抱えたまま、ついつい足がギンの後に付いて行く。
阿散井恋次。
かつて甘いものさえあれば生きていけると豪語した男である。

 

餡蜜は絶品であった。
舌の蕩けそうな味は数多の甘味を制覇してきた恋次がむむと唸るほどである。
流石に隊長格が行く店なだけはあると感心する。

「此処のんうまいやろ。好きなだけお代わりしてええよ」

ギンはにこにことお茶を啜る。
太っ腹だなあとすっかり籠絡懐柔された恋次は早速二皿目を注文した。

「で、相談の方ってなんなんすか」
「実はなあ。最近なんやボク調子悪いねん」
「はあ……俺にはとてもそう見えませんが」

極悪陰険妖狐と恐れられるギンには病原菌の類だって近付かないことで有名である。
現に目の前の狐さんは殺しても死ななそうなぐらいにはぴんぴんしている。

「時々心臓がめっちゃどきどきして苦しゅうなったり、お顔が火照ったり、頭がよう働かんかったりするんよ」
「はあ」

更年期障害なんじゃないんすかねえとは思ったけどちょっと言えない。

「あれかなあ。ボク働き過ぎなんやろか」
「…………」

平日の真昼間にこんなところで油売ってる狐が働き過ぎなわけねえだろと思ったけどちょっと言えない。
第一、過労で倒れるならアンタじゃなくて吉良だ。

「四番隊には診て貰ったんすか」
「行ったよ。そしたらつまみ出されてん」

そりゃあこんなひとが来たらつまみ出したくもなるよなあ、と恋次はギンに来訪された四番隊に同情した。
しかし彼らだってプロである。
患者であればそれを無下に扱うことなどしないだろう。恐らく。
ということは。

「もしかしたら病気とかじゃないかもしれないっすね」

ギンが首を傾げる。

「どういうことやの」
「精神的なのが原因で調子悪くなってんじゃないんすかってことです」
「ほうほう。確かにボクの心は硝子のはーとやしなあ」

いや、あんたのは防弾の強化ガラスだろうよ。

「恋でもしてんじゃないんすか」

軽い冗談のつもりで言ったのに、ぐわっとギンが目を見開いて食いついたものだから思わず恋次は仰け反る。

「恋やて」
「あ、はい」
「恋」
「はあ、そうです」
「そうか……」

それきり腕を組んで黙りこくってしまったギンに恋次は狼狽する。
まさかまさかマジで心当たりでもあるのだろうか。

「市丸……隊長。あの、もしかして」
「うん。どうやらボク恋してたみたい」

てへっと頬を染める狐さんの気味の悪いことと言ったらとてもことばでは表し難い。
どうやらこの世のどこかにこのロクデナシの狐さんに見初められちゃったかわいそうなひとがいるらしい。
うわあ俺ものすごく余計なことしちゃったんじゃないの?と恋次が迂闊な言動を後悔しても時既に遅しである。

「うんうん。ほうかほうか。これが恋やってんなあ」

どこぞの乙女ばりにるんるんしていらっしゃるギンはどうやら相当に嬉しいらしい。
こんな妖怪にもひとを好きになる気持ちがあったんだなあと感慨深くなれど、正直不気味以外の何物でもない。

「なあなあ、赤犬君」
「は、はいっ」
「ボクこれからどないしたらええと思う?」

まさかの相談である。

「え、どうしたらっつーと」
「どないしたらあの子とお付き合いできるやろか」

あの子って口にする時にちょっぴり照れてやがる。
というかこのひと、俺の何倍生きてるか知らんけどまさか奥手か。初恋か。
うわあ。なんてこった。
恋次とて名前がそれっぽくとも恋愛相談なぞ全くの専門外である。
下手なことを抜かせばまず命は無いことは火を見るより明らかだ。

「いいい市丸隊長のことですから告っちまえば一発ですよ多分」

正確には一発で相手を失神させるだろう。
市丸ギンの愛の告白など一般人には呪いと同義だ。

「いややわあ。いきなし告白やなんて」

だから照れてんじゃねえよ!
泣く子どころか屈強なおとこらも平気で黙らす陰険妖狐ギンは意外にも初心でぴゅあぴゅあである。

「じゃ、じゃあ恋文渡すとか」
「それもちょお恥ずかしい。そもそも恋文なん、なんて書いたらええの」
「え、あー。すきです、付き合ってください、とか」
「いきなしそんなん渡されてあの子びっくりせえへんやろか」
「外堀から埋めましょう!お友達から始まる恋!」
「お近づきになるにはどないしたら」
「ぐ、ぐうぜん曲がり角でぶつかり合っておんなじ本に手を伸ばして触れ合った指先にびびっと運命!!」
「赤犬君にしては良え考えや!」

ギンはぽんと柏手を打っていそいそと立ち上がる。

「ボク早速、あの子と曲がり角でぶつかって本屋で同じ本選んでくるわ!」

少なく見積もってあと餡蜜が五杯は食べられそうな金額を適当に放り投げて、ギンは嬉しそうに出ていった。

「助かった……」

完全にやけくそだったのだが取り敢えず生き残れた事に恋次はほう、と息を吐く。
あのひとも可愛らしいところあるんだなとか思っちゃった自分が嫌だった。

 

後日、頬を染めたイヅルに「運命ってあるんだね」との報告を受け、更なる自己嫌悪の日々を送ることになるとは知る由もなかった。


(2013.01.02)
 

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