其れは、明日、友達が死ぬと言った。

其れが予言する事は驚くほどによく当たる。
明日の天気を聞けば、晴天から嵐まで寸分違わぬ空模様を教えるし、其れが明日怪我をするから気を付けろと言った翌日は、どんなに気を付けていようと必ず怪我をした。
外れたことなど無かった。
不可思議なちからを持つ其れは、紛れもない不可思議な存在だからこそ、そういうものなのだと子どもは思っていた。
赤い鳥居に、拙い字で書かれた五十字の羅列。
是と非が左右に書かれた紙面の上、幼い人差し指が置かれた十円玉で、其れは「ぎん」と名乗った。


子どもと「ぎん」の意志の疎通は至って単純で、子の話や質問に対して、全く力を入れていない硬貨が紙面上を滑って文字や是非を指し示して、返事を返すというものだった。
全てを仮名文字で紡ぐ「ぎん」の言葉は、無味乾燥に見えて感情が見えずらい。
それでも、何故か文を受け取る度に子どもには「ぎん」が何を思っているかが、ほんのりと伝わってくるように感じた。
何時でも会話の最初は子どもだけれど、「ぎん」から話す事も多かった。

『いづるのかみはきれいやね』

「ぎん」は何処か知らない土地の方言で話す。
馴染みのない口調だが、何処か柔らかな感じのするその話し方が好ましかった。
そのようにして、「ぎん」はよく子どもの髪色を褒めた。
月のようにあわい金無垢だと、きれいだと、「ぎん」は口癖のようにそう言った。
そう言われる度に、子どもは形のない「ぎん」の姿を想像してみた。
名前通りの、きれいな銀色の姿を思い浮かべた。


冬の北風に容赦は無い。
身体を冷やしてはならぬと、世話を焼く母親が付けてくれた石油ストーブが部屋の暖をとる。
その上で、湯の入った薬缶が蒸気を発しながらごとごとと音を立てていた。
静かな部屋に、子どもの声が響く。
「ぎん」との会話は、秘密事であれど、子どもにとって日常的になっていた。
普段と変わらぬ、他愛の無い会話だった。

「……それでね、ぎん。あばらいくんったらおかしいんだ。先生につっかかってろうかに」

『あしたそのこしぬで』

「え?」

暖がとられた筈の部屋で、思わず凍り付いた。
「ぎん」はまるで、いつものように明日の天気を予言するぐらいの気軽さで、ひどく不吉な事を言い放った。

「なにを……いってるの?」

こんな事を言われたのは初めてだった。
戸惑いがちに言葉を投げかけた子どもの不安さに、追い討ちをかけるような軽さでするすると十円玉が和紙を滑っていく。

『あしたそのこはしぬていつたんや』

「あばらいくんが?そんなわけないよ」

『しぬよそのこはしんでまうかわいそうになああしたしぬよ』

「なんで、そんなわけない。うそでしょう。ぎん」

『しぬよ』

断定的に「ぎん」は言った。
じわりと悪寒のような気持ちの悪いものが腹の底に広がっていって、全身総毛立った。
今まで見なかったものが目の前に突き出されたような気がして、無性に不安に駆られた。

『しぬよしぬよしぬしぬしかふまままちけせうあああくくしぬしぬしぬしぬはへかとしあねしねしんだみなたしん』

子どもの指先で十円玉は意味を持つ文を語らず、所々に気味の悪い単語を含みながら、狂ったように紙面上を走り回っていく。
目眩を起こしそうになる程の異様さに、子どもは座り込んだまま十円玉を凝視する事しか出来ない。
浅く短い呼気を繰り返しながら、目を見開いた白い顔で、硬貨が異常な速さで紙面を迷走するのを見つめる子の耳には、在る筈のない高笑いだけが聞こえていた。


翌日のその日は、学校が終わっても不安が消えることは無かった。
あの時の「ぎん」は明らかにおかしかった。
意味の分からない文を綴り、狂ったように「しぬ」と繰り返す。
あんな「ぎん」を、今まで子どもは見たことがない。
其れらが鮮明に思い出されると、鳩尾の辺りにあの気持ちの悪い感覚が甦り、其の度に、冬季の凍えた風とは関係無く身体が震えた。
結局今日は、昨日の「ぎん」の異常さと告げられた事ばかりが頭を巡り、何も手に付かなかった。

「なんか今日、顔色悪いぞ。だいじょうぶか?」

見かねたらしい友達は、放課後、一緒に帰り道を歩きながら怪訝そうに聞いてきた。
土手の上を俯いて歩く子どもの足取りは重い。
顔を上げてだいじょうぶとだけ返事を返すが、内心は不安で満たされるばかりで、とても大丈夫とは言い難かった。

『あしたそのこしぬで』

「ぎん」の言った事が繰り返し繰り返し頭の中で反芻される。
何かの間違いだと心底思いたかったが、今まで其の予言は外れた事が無かった。
思い返せば、「ぎん」の予言は恐ろしいほどに絶対的だったのだ。
昨日のとて例外ではない。
きっと当たってしまうであろうことが、子どもにはありありと想像出来た。
それでも子どもは、何もないのだと思いたくて仕方がない。

「……ぼくのしんぱいより、自分のしんぱいをしなよ。算数の宿題がいっぱいでたじゃない」

無理矢理に笑い顔を作って、普段のように振る舞ってみる。
すると、友達は怪訝そうな顔から一転して、苦笑混じりにわざとらしくぎくりと肩を上げた。

「ああ、そうだった。お前のうつさせてくれよな」

「ええ……たまには自分でやってきてよ。あばらいくん」

「体育のときはいつもたすけてやってるだろう」

「……ひどいなあ。もう、見せてやらない」

「えっ、ちょっとまってくれ」

途端に態度を翻す友達と目が合うと、悪戯っぽく笑いかけられた。
いつもと変わらないふざけ合ったやりとりに、思わずに子どもは少しだけ笑った。
そうすると、すっと胸の内が軽くなった気がして、試しにしっかりと顔を上げてみた。
寒風に頬を染めながら、はしゃぐ友達を捉える。
頭は悪いが、強くて頼りになって、何より友人思いの友達は何処までも溌剌としていて、とても今日明日で死ぬようには見えない。

「………………」

さっきまでの不安感が嘘のように思えてきた。
昨日の「ぎん」は確かに様子がおかしかった。
けれどもおかしかったからこそ、あんな事を言ったのではないだろうか。
不具合によって、ありもしない予言を「ぎん」は口走ったのではないか。
なにより、今日と言う日は既に半分以上終わっているのに、未だに何も起こる様子はなのだ。
改めて冷静に考えてみると胸に広がったのは、先刻のような不安感ではなく深い安堵だった。
落ち着いて息を吐いて、改めて友達に笑いかけた。

「しかたないなあ。とくべつに明日は宿題みせてあげる」

吐息はすぐに白く濁った。

「ほんとか?よっしゃ、たすかったぜ。ありがとな、き」

視界から、友達が消えた。
え、と子どもの口から間抜けな声が漏れる。
直ぐに足下より下の方で、どぼんと水の弾ける音がした。
それなりに高い丘となっている土手の上から、川の方へ視線を下ろすと、そこで大きく波紋が広がっていくのが見えた。

「………………」

「ぎん」の予言が当たってしまったのだと、真っ青な顔で子どもは気付いた。


「ぎん」は身近な存在だったが、同時に異常な存在であった。
見えない、そこに居ない何かが儀式を媒介に自分に語りかけてくる。
居るのに居ない。
居ないのに居る。
意志を持って、動き回る銅貨。
黙しながら、次々に綴られていく仮名だらけの文章。
そして、ふとした瞬間に気付く、背後や部屋の隅の気配。
其れは間違えようの無いほどに、異常な有様。
その事を実感として子どもは感じていたが、其れを理解して受け入れるには、子どもは余りに幼く、無知で純粋すぎていた。

「ねえ、ぎん。あばらいくん、が……しん、じゃった」

『そうかしんだんかしんだんやねしんだぼくいうたやろしぬて』

血の気の引いた顔で声を震わす子どもに対し、「ぎん」は嫌に楽しげだった。
足を滑らせ、土手から川に転落した友達は溺れて死んだ。
「ぎん」の言った通りだった。
急いで大人に助けを求めたものの、引き上げた時には既に手遅れだった。
川から上がった友達は、あまりにも変わり果てた姿をしていた。
水に濡れて冷えた肌は不気味に生白く、変色した指先の、黒みがかかった紫色が気味の悪い程に鮮やかだった。
先程まで生き生きとしていた目は瞳孔が開ききって、瞳の周りを覆っていたのは混濁した生々しい白。
其の中心で、眼球は左右で別々な方に転がり、濁った右目だけが子どもを見ていた。
だらしなく開いた口からは、変色した舌が覗いていて、唾液だか水だか判らないような液体が口の端から流れていく。
身体全体がだらりと弛緩していて、何処にも力の入っていない其れは人ではなく、もっと別なもののように子どもには見えた。
根を張ったように、死体の映像が生々しさと共に頭から離れない。
あの淀んだ水の臭いも、濡れた着物の隙間から覗く生白い肌も、無惨な表情も、投げ出された手足も、そこから滴る水滴も、何もかも全てがおぞましく鮮明に記憶に焼き付いている。
震える身体を抱きながら、思わず子どもはか細い声で聞いていた。

「……あばらいくんが助かる方法はなかったの?」

『かわにちかよらなければよかつたんよ』

楽しげに、ただただ愉しげに十円玉は紙の上を走っていく。
子どもは十円玉に触れている手とは逆の手で、心臓を握るように自分の着物を鷲掴んだ。
着物を握る手も、身体も何もかもが震えていた。

「……ねえ、ぎん。ぼくは、いつ、死ぬの?」

返事は早かった。

『あといちねんでしぬわくるしんでしぬなあ』

つと息を呑み、子どもは大きく目を見開いた。
病弱な身体だからして長命では無いことは想像していた。
それでも告げられたものは、あまりに短すぎた。

「僕は……どうしたら死なずにすむの?」

『おしえなあい』

けたりけたりとさも愉快そうに「ぎん」は嗤った。
直感的に子どもはそう悟り、そして、愕然とした。
今まで「ぎん」が子どもに教えてくれないことなど無かったのに。
焦燥を感じ、子どもは必死に訴えた。

「なんで、どうして、おしえてよ、ぎん」

『いややいややぜえつたいにおしえたらん』

「おねがい……おねがい、します。おしえてください」

堰を切ったように溢れ出した涙が、子どもの頬を伝って、畳に落ちていく。
そんな子どもを揶揄するように、「ぎん」は言った。

『いづるはそないにしにたないんか』

「……しにたくない、ぼくはしにたくない、のです」

とめどない涙を流して、震える声で子どもは言った。
脳裏にこびり付いた死体。
あのような姿になることに、子どもは怯えた。
十円玉はそんな子どもの様子を楽しむように、ゆっくりと言葉を指し示す。

『しなんようになるならいづるはなんでもするか』

「します、なんでもします」

濡れた顔で必死にこくこくと肯く子どもに、「ぎん」は続けた。


『それならぼくのこになり』


するするするすると硬貨が紙の上を滑ってゆく。
奔流のように、とつとつと「ぎん」は文字を紡いでいった。

『そうしたらしなんからだをあげるしなんとしもとらんずうつときれいなままのからだをあげるずうつとずうつとえいえんにえいえんに……』

呪詛のように『ぎん』は永遠を紡いでいく。
忌わしい筈の其れを、子どもは救いのように聞いていた。
やがて十円玉は動きを止めた。
少しの間を置いて、「ぎん」は言った。

『ぼくのこになるかいづる』

「はい」

頬に涙を伝わせて、いづるは静かに肯いた。

いうたな


いうたな

ぼくのこどもになるというたな


ええよあげる
しなんからだをおまえにあげる

そのかわり

いづるはぼくのこ
ぼくだけのこや


ずうつとずうつとえいえんにえいきゅうにくおんにとわに

おまえはぼくのもの


かあええこ

きれいなこ


おろかなこ

ぼくのもんや


そうやね?いづる


はい、


いつか思った通りの、美しい色の中をたゆたっていく。
狐の腕の中で子どもははらはらと涙を流した。
泣きながら、自分を抱く狐に縋りついた。

もう戻れはしない。

もう帰れはしない。

もう何処にも行けはしない。

ただ、死にたくなかった。

「逃がさへんよ」

抱いた子どもにそっと口付けて、狐は嗤った。
ひどく愛おしそうな仕草で金無垢の髪が梳かれていく様を眺めながら、子どもは静かに泣き濡れた目を伏せた。

狐に囚われた子どもは、永遠の身体を与えられ、何処へと攫われた。
寄る辺を失くした子どもに最早帰る場所は無い。

あとはもう、死にもせず、狂ったように愛され続けていくだけ。

 

…………
パロ元→乙一氏「天/帝妖/狐」
題名元→林檎嬢「映/日/紅の/花」

……要するに和一の嗜好要素スペシャルな自己満全開のパロディです。
色々とマニアックですいません。趣味に走るのが止められない。

今回の反省
パロ元が素晴らしすぎる為、パロってみたら自分の文才の無さをこれでもかと言うほどに突きつけられました。
書いてて、乙一氏ファンの方や林檎嬢ファンの方に申し訳なくなったっていうか、もう石投げつけられんじゃないかこれ。
寧ろパロ元云々より、ギンイヅスキー及び恋次(殺してすまん)スキーの皆様に殴られんじゃないか。
怪我する前に謝っておきます。上記の皆様、本当にすみませんでした。

同じ過ちを和一は繰り返す予定です。
どうぞご考慮した上で、今後の和一との付き合い方を考えて下さい。

 

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