その絡繰は、イヅルと名乗った。
どこからどうみてもひとの姿をしているものだから、試しに刀で軽く腕を斬りつけた。
血も、痛がる素振りすら見せず、イヅルは義骸ですから、と呟いた。
成る程。
イヅルの作りの精巧さにすとん、と納得が行って、それからつまらんなあ、とギンはぼやいた。
「絡繰なん、からかい甲斐があらへんしおもんないわ。それにいつか、壊れてまうやろ?」
「時が経てば壊れます。それまでは、何なりと申しつけてお役立たせてくださいませ」
美しい金糸を揺らして、イヅルはギンの前に三つ指を着いた。
実際、イヅルは有能だった。
隊長である市丸の奔放さ、そして副隊長不在から、仕事に忙殺されていた三番隊を危惧して遣わされたイヅルは、その穴を補って余りある働きを見せた。
事務も戦闘も卒なくこなし、機械ゆえの計算の早さから機転も利いた。
感情の起伏は平坦で表情の変化も乏しかったが、少なくともひとを不快にさせず、日常会話も出来る程度の社交性をイヅルは持ち合わせていた。
最初はひとでない彼を後ろ指指す輩もいたが、ひと月もすれば彼が副隊長であることに疑問を持つ死神は居なくなった。
そして何より、イヅルの従順さをギンは気に入った。
「ついておいで、イヅル」
「はい」
感情を伴わせずに従うイヅルは、手のかからないことこの上ない。
ギンがやれ、と言えば躊躇いなく動くし、やるなと言われた事は決してイヅルはしない。
珍しくギンが愛着を寄せた。
「イヅルはボクの命令は絶対やんな?」
「はい」
「なしてボクの言うことは絶対なん?答えて、イヅル」
「貴方が三番隊の隊長だからです」
「ほんなら、ボクやない奴が隊長やったら、イヅルはそいつの言うこと聞くんか?」
「はい」
首肯するイヅルに、ギンは苦笑した。
「それは嫌やなあ」
イヅルが目を瞬かせる。
「何故ですか?」
「イヅルが他の奴の言うこと聞くん、イヅルが取られたみたいやよし、ボク嫌やねん」
「それは三番隊隊長ではなく、市丸ギンに仕えろと言う意味でしょうか?」
「当たらずも遠からずってとこやなあ」
イヅルの認識は決して間違ったものではなかった。
「きっとイヅルには分からんよ」
ギンはそっとイヅルの下唇を食む。
落とされた口付けをイヅルはただ従順に受け入れる。
三番隊隊長は絡繰に入れ込んでいる。
だれも愛さないあのひとが。
ひそひそ、と好奇心も悪意も孕んだ囁きは自然と耳に届く。
けれどギンはくつくつと笑うだけ。
あれほど愚直に向けられた従順さに、どうして絆されずにいられよう、とギンは笑う。
イヅルはギンが言えば足さえ開く。
冗談で言った命に従われ、試しに意味を分かっているのかと問うと、無機質な言葉で行為の認識を説明された。
絡繰の身体はギンを受け容れることは出来ないが、慰めることは出来る。
閨でのイヅルもやはり従順であり、ギンはそれを気に入り、自然と床を共にする夜が増えた。
嫉妬や束縛と言った煩わしさを嫌うギンに、イヅルの奉仕はひどく心地よかった。
「おいで、イヅル」
イヅルを膝に乗せて、ギンはその胸元に顔を埋めるようにして抱き締めた。
イヅルは温かくはない。
常にひとよりも一回り低い温度を絡繰の身体は保っている。
心臓の音すらイヅルは持ち合わせていない。
それでもギンは柔らかみのないイヅルを抱き締める。
血の通わない胸に顔を押し付ける。
ずっと、こうしていられればいいとギンは思う。
「腕、ご免なぁ。痕にならんくて良かったわ」
ギンはイヅルと初めて会った時、斬りつけた場所を撫でさする。
「いえ、あの程度で活動に支障はきたしません。平気です。僕は絡繰ですから」
「せやなあ」
一見すると、ひとにしか見えないイヅルだが月に一度、十二番隊から送られる技術者によって整備されている。
ギンによる腕の創傷も次の月には綺麗に無くなって、滑らかな肌に戻っていた。
整備は義骸の外装は勿論、その中身も開いて入念に行われる。
好奇心から何度かギンはその様子を見学していた。
開けた中から覗いたのは、ひとに在らざるイヅルの中身。
やはり彼は絡繰なのだなあ、と見るたびギンは確認した。
そして深く安堵する。
絡繰だからいい。
絡繰だからイヅルが良かった。
血の通わない身体と平らで通る声と柔らかい髪と複雑にならない精神と。
これが自分はいとおしい。
膝の上のイヅルをギンは強く抱きしめる。
絡繰だからいとおしかった。
けれど、絡繰だからイヅルは。
「いつか、壊れてまうな」
何処までも穏やかな青色の瞳でギンを見下ろす。
イヅルは静かに首を振った。
「いいえ」
いつもの平坦な声色で、変わらぬ表情で、イヅルは言った。
嘘など吐けぬはずのイヅルは言った。
「僕は壊れません。僕は市丸隊長のお側に居続けます」
壊れぬ絡繰など有りはしない。
死なぬ人間が居ないように。
誰の目にも明白なイヅルの虚言。
「ほんま?」
「はい」
「壊れんて、約束出来る?」
「はい」
イヅルは言う。
抜け抜けと、しゃあしゃあと嘘を吐く。
そもそも初めに彼は言ったではないか。
いつか自分は壊れると、そうイヅルは断言したではないか。
それなのに何故そんなにも誠実な顔で、真っ直ぐに。
絡繰が嘘を吐く。
ギンのためだけに嘘を吐く。
「お前は、絡繰やんな?」
「はい」
頷くイヅルは、今まで見たどんな彼よりもひとに近い。
ギンの背筋がぞわりと凍る。
「何処までも貴方にお仕え致します」
イヅルが笑う。
ギンは笑みを無くした。
人形しか愛せぬろくでなしの恋は、人形が果たせぬ未来を約束することで成就した。
………
エイプリルだから取り敢えず嘘を吐けば良いだろうと安易な思考に走った。
今では反省している。
反省に免じて義骸とか魂魄とか細かいところは気にしないであげて欲しい。
(2012.0401.)