『侘助』

初めてぼくの名前をイヅルが呼んだとき胸の奥が苦しいぐらいに熱くなったのを覚えている。
理由の判らない嬉しさと涙が溢れてきて止まらなかった。
生まれてきてからずっと傍に寄り添っていたのに名前を呼ばれただけでどうしてこんな気持ちになるのだろう。
そんなぼくをイヅルは困ったように微笑みながら優しく抱き締めてくれた。
イヅルの腕の中で泣きながらぼくはひとつだけ気付いた。


ぼくはイヅルがすき。


……だけどイヅルが狐のことをすきなのは知っていた。
それから狐もイヅルをすきだということも。
正確には、イヅルと狐が互いへ持っている感情は『愛』と呼ぶものらしい。
すき、と言うと、ぼくも侘助が好きだよ、とイヅルは言ってくれた。
しかし、これは『愛』とは違うらしい。
狐とイヅルの間にあるものと、ぼくとイヅルの間あるものと一体何が違うのか。
ただ、ふとイヅルの表情が『好き』から『愛』に変わる様子を見る度、ぼくの身体を冷えた液体のような嫌なものが蝕むのだ。


不快感の消し方を教えてくれたのは、憎しみに満ちた目で笑う斬魄刀だった。
ぼくらを死神から解放すると宣言した彼は何処かイヅルに似ていると思った。
散々利用された挙句何も云われずにあいつに置いて行かれたイヅル。
誰かを憎み、恨みながらそれでも慕いたい気持ちが隠せていない目が全く同じ。
大切な人に裏切られた人間は一様にあのような目をしているのだろう。
狐が消えて以来イヅルは鬱ぎ込み、常に苦しげな影を落としている。
何処までも付き纏う狐の影に、刃の切っ先を向けることさえ出来ないでいる可哀相なイヅル。
赦すことなど到底無理だと判っているのに。

『……いっそ、憎みきってしまえばいいのに』

誰の目にもはっきりと痛々しく映るイヅルの有様が耐え難い。
誰にも聞こえないような声でひっそりと心の内を吐き出すと、
何時の間にか傍に彼がいてイヅルとよく似た目がぼくを捉えていた。

『憎む…か。それが出来たらさぞ楽だろうな。……しかしそれはお前の願望だろう?』

『…………』

否定も出来ず口を閉ざすぼくに、彼は口角を歪ませて嗤った。

『お前は自分の死神を随分と慕っているのだな。
しかし、かといって報われるわけではあるまい?
お前の死神は離反した裏切り者に未だ拘って、お前を見ようとすらしない。
お前が何より死神のことを大切に思っているというのにだ。……それこそが裏切りだとは思わないか?』

彼の言葉がひどく暗鬱な魅力を帯びて響いてゆく。
そして、其れらは総て紛れもない真実であると無意識は肯定しているのだ。
反射的に睨み上げると、深い紫の眼は暗い愉悦を称え、その奥で鈍い光がこちらを嘲笑う。

『……何が…言いたい』

『これからは斬魄刀が死神を支配するんだ。躊躇いなど不要だ。奪ってしまえばいい』

其の瞬間、ずくりと見透かされ射抜かれた。
自分の本能を知らしめられ、その浅ましさにぼくは笑った。
ざくりと地を踏みしめ、歩き始めるぼくの後ろで静かに暗い笑みが深くなる。




『っ……侘助』

久しぶりに聞くイヅルのぼくを呼ぶ声に今までになく胸が熱くなり、溶けるように不快感が失せるのを感じた。
始解すら出来ない刀は離れた場所に打ち捨てられ、ぼくの下でイヅルが苦しげに呻く。
傷から流れる血がイヅルの白い肌に赤い筋を残して地面に滴った。
数カ所を斬りつけられて伏したイヅルの身体はとうに動かせるような重さではない。
身動き一つ出来ないイヅルにぼくは覆い被さるようにして抱きつきその胸に顔を埋めた。

『ぁぐっ……ぅ』

傷に触れたのか痛そうなイヅルの声が聞こえる。
それがとても快い。
顔を上げると視線がぶつかった。

『……侘助……な、んで…』

頼りなげに寄せられた薄い眉の下、ぼくを見下ろす薄青の瞳。
その端に溢れる涙を見てぞくりと背筋に衝撃が走った。
水滴が頬を滑っていく様に何か暗く生温い感情が満たされてゆくのを感じる。

『イヅル、』

ゆっくりと浅く身体を起こしてイヅルの瞳と正面から向き合った。
そうするとぼくの長い黒髪が滑り落ちてイヅルの顔の周りに暗幕を引く。

『すき』

甘えるように唇を食む。
少し離してはまた口付けることを繰り返すのが心地いい。
頭を上下させる度、地面に擦れた髪がさらさらと音を立てる。
緩慢な動作の中ふと頭に浮かんだ言葉がひとつあった。
頭を上げると打ちのめされたような顔をしてぼくを見上げているイヅル。

やっと理解に至ることが出来た達成感にぼくは微笑んだ。


『あいしてる』


目を見開くそれさえもが愛おしい。

『やっと、ぼくのもの』

何か取り返しのつかないものを哀れむようにして涙を流すイヅルの顔は、狐を愛するときの其れとよく似ていると思った。



………
アニ鰤の斬魄刀異聞編の勢いに便乗して侘イヅ。

と言うか、アニメでのイヅたんと侘助の絡み具合にあてられた。(^q^)←
私の基本がギンイヅなんで必然的に侘助は片想い状態。
なんだけど耐える我慢強い子。それが我が家の侘助です。
アニメで村正が「斬魄刀の本能を開放する」って言ってらしたんで、今回は村正に唆されて
我慢の限界だった侘助が、市丸も居ないしって事でイヅたんを襲っちゃう話にしてみました。(最低)

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